マックスウェーバ先生が教える仕事がつまらないと感じる時の対処法

こんにちは。
イケガミーチェです。

10月に入って、仕事も下半期に突入ですね。
また気合いを入れて駆け抜けていきたいものですね。

「気合いを入れようにもやる気が起きねえーな」

「あーなんかそもそも仕事つまらねえ〜な。」

そうは言っても、こんな感情がビルの間を通り抜ける秋風のようにふっと吹き抜けてくることはありませんか?

多くの人は、7日の中で5日間は仕事をしている時間になっていますよね。
つまり大部分の時間は、仕事をしているということです。

次は睡眠の時間でしょうかね。

プライベートの時間を楽しもうとする人は多いです。
しかしプライベートの時間は割合的にとっても短いです。

では人生をより楽しくするには、仕事の時間を楽しくすることが良いのでしょうか。

今回は、仕事がつまらないと思っている人に、仕事はそんなに悪いものじゃないと思えるような解決策をまとめました。

1 仕事がつまらないと思う原因

まずは仕事を「つまらない」と思ってしまう原因をまとめます。
次の3つの原因があります。

  1. 仕事の意義を実感できない
  2. 仕事の成果を認めてもらえない
  3. プライベートで嫌なことが続いている

まず1点目。

「これは会社のために役立っている仕事なのか?」

「この仕事は誰かの役に立っているのか?」

「自分の成長に役立っているのだろうか?」

特に、ルーティンワークが多い仕事ほどこの傾向はあると思います。

次に2点目。

「どうしてこんなに頑張ったのに評価をしてくれないのか?」

「なぜあの人はあれで褒められて、俺は何もないのか?」

評価をされなければ好きなことを仕事にしていても、面白くないですよね。

最後に3点目。

「最近ついてねえーな。」

私情を挟むな、とは言われてもそこは人間です。

私も先日WI-FIルータが壊れて、仕事後の日課であるネットでドラマをみることができなかった次の日はさすがにブルーになりかけました。

2 「仕事がつまらない」と感じることへの対処法

ではオススメの対処法をご紹介します。

この3つの原因を解消するには、「自分の職業倫理」を持つことです!

硬い文章で言えば、「自分にとっての仕事の位置付け・意義を考える」。
柔らかく言えば、「仕事のマイルール」。

意義とかいう難しいので砕けて言えば、「自分だけのお楽しみ」。笑

例えば私の例です。

私は喫煙者です。
だからマイルールは、必ず朝の始業前は缶コーヒ持って喫煙所で黄昏れて気合いを入れます。

人生を舞台にたとえていいます。

私にとっての仕事の位置付けって一つの舞台装置で、背景画です。
私はそこで演じる自分の立ち振る舞い方にルールを設けているわけです。

サラリーマンの役をもらったら、とりあえず「缶コーヒ持って黄昏る」。

言葉にすると変態ぽいですが、要するに自分の世界の中だけでの「禁断の楽しみ方」ってことです。笑

じゃあなぜ「自分だけの禁断の楽しみ」を見つけることががつまらない仕事の対処法になるか。

それは、3つの原因を解消できるからです!

まず1つ目。
意義がわからないと思うのは、「誰かの役に立ちたい」という承認欲求があるからです。
だからこの欲求を打ち消しましょう。

自分だけのお楽しみを見つけるというのは、その承認欲求から脱出する1歩目です。
自分だけのお楽しみというのは、楽しむことに他人を必要としないことですからね。

2つめ。
評価を求めることも承認欲求があるからです。
打ち消しましょう。

「上司がわかってくれない?」

あなたの価値がわからない人は、もう気にしないでいきましょ。
「上司の目が中心の世界」から「自分中心の世界」にいきましょう。

最後に3つ目。
プライベートの嫌なことを仕事においては忘れるために、仕事の「禁断のお楽しみ」は、公私を切り替えるスイッチになります。

たとえば、「ネクタイを締めれば仕事モードになる」だってスイッチですよね。

モードを変えることで、人間って不思議なことに言動や、性格って変えることができるんですよ。

モードだけではなく、立場を変えれば急に言っていることが変わることも政治の世界ではよくありますよね!

「あれ?政党が変われば急に反対から賛成になるんだ!」ってことありますよね。

禁断のお楽しみをスイッチに、どんなにプライベートで嫌なことあっても仕事では切り替えることができたら最強になれますね!

「「禁断のお楽しみ」とはいうもの、筆者の具体例じゃあ参考にならねえよ!」

と思った方には、哲学者マックスウェーバ先生の職業倫理(禁断のお楽しみ?)をご紹介しますね。

3 よりよく働くには〜「職業としての学問」マックス・ウェーバ〜

仕事を面白くしたい人は、「自分の仕事とは何か」という自分なりの意義を持つことです。
なぜなら意義がスイッチになり、そしてつまらないと感じた根源である承認欲求から解放されるからです。

意義というと硬いので、砕けて言えば「自分だけの禁断のお楽しみ」でもいいわけです。笑

社会学者であるマックスウェーバ先生は「職業としての学問」という本で大学教授の職業倫理を説いています。

本の一部を引用します。

「ところで、大学で教鞭をとるもの義務はなにかということは、学問的になんびとにも明示しえない。かれにもとめうるものはただ知的廉直ということだけである。」
(尾高邦雄訳、岩波文庫、1980年)

大事なことは知的廉直(ちてきれんちょく)さだと言っています。
つまり学者はどう行動すべきか、というような主張をするのではなく、教壇では知的な説明に徹するべきということです。

マックスウェーバ先生が大学で教えていた当時のドイツは、第1次世界大戦敗戦後で、学問を教える場で教授が自分の政治的主張をすることが横行してたようです。
その空気に対して、マックスウェーバ先生は一石を投じたわけですね。

あくまで大学教授は、「これこれの問題はこれでは解決できない」という説明を理論的・学問的にできるかが求められていることです。
学者は学生に価値判断の材料を与えるところまでしかできないということです。

マックスウェーバ先生の職業倫理(禁断のお楽しみ?)には次の大切な心構えがあります。

「自分が関わっていることがらの本質に忠実・誠実であるべき」

今風に言えば、マックスウェーバ先生は「プロ意識の高い方」なんだなと思います。
大戦後のドイツで反政府思想を教壇で主張する学者を見て、学問がないがしろにされていました。そんな中、先生は学者の本質、プロとはこういうものだと示したわけですね。

マックスウェーバ先生の職業倫理(禁断のお楽しみ)が参考になるなと思った理由は、カッコイイからでした。

誰しもプロというものに小さい頃憧れたと思います。
それは単純な理由だったはずです。

「カッコイイ」

そして大人になって職業につく前も少なからず想像したはずです。

「かっこよくバリバリ働いている自分」

プロがカッコいいのはそこに真っ直ぐな一本の芯があり、信念に基づいて行動しているからで私たちはそこに心を打たれたのではないでしょうか?

今仕事がつまらないと感じているのは、かつて思い描いた自分とちょっと違うからかもしれないですね。

でもマックスウェーバ先生のように自分の職業観を考えなおし、誠実に取り組んでみてはいかがでしょうか。

そしたらきっとかつて思い描いた「かっこよく働く自分」がいて、今より仕事がマシだなと思う日がくるはずです。

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