なぜ人は働くのか?

こんにちは。
イケガミーチェです。

今回はタイトルのとおり、現代のサラリーマンが一度は考える「働くとは何か?」について本の紹介を交えながら考えていきます。

素材となる本は、こちらです。

内田樹先生の「下流志向(学ばない子どもたち働かない若者たち)」。

本の主題は、「学びからの逃走、労働からの逃走」がなぜ起こっているのかですね。

若者たちが主体的に積極的に学びや労働から逃走することを選択しているという現象を取り上げています。

私たちは最初にも書きましたがこんな疑問は抱いたこと、または今も抱いていますよね?

「どうして勉強しなければいけないのだろうか?」

「どうして働かなきゃいけないのだろうか?」

この疑問の答えに少しでも近づけるのも、この本でした。

この本の結論です。
学ばない子どもや、働かない若者の増加現象の原因は、幼いころから私たちは「消費主体」として育っていることをあげています。

消費主体とは、価値や有用性が理解できないサービスは、買う価値がないという判断を下す存在のことです。
いわゆる消費者ですね。

ここで筆者は一つの問題提起をしています。

「学び」や「労働」とはこうした売買関係にあるものなのか?

つまり対価を払って、買い物のように商品が受け渡されるものなのか?ということですね。

消費主体と労働主体の大きな違いがあります。
労働主体は他者からの承認がなければ主体性は確証できない。
一方消費主体は承認に先立って貨幣を手にした時点で既に主体性を確保していること。

労働は、「ことのじゅんじょ」があり、一定の時間が必要です。

労働は、実際に働いてそれを親や周囲の人々がどう評価してくれるのかを待ち、肯定的な評価が与えられた後に、自分はこの世界に有用な存在であるという確証を得ることができます。

しかし消費活動は、無時間性で、交換に時間がかかることに耐えられません。
買い物に行き、カゴに入れている時点で、私たちはすでに成果物を得ていると錯覚します。
それは最後にレジで代金を支払うにしても、すでに交換が行われている前提にたちます。

消費活動の本質は等価交換です。
そして等価交換というのは時間という概念を無視します。

私たちは幼い頃より消費者として、おつかいに行きお金というものを手にしてレジにいけば、どんな大人も一人の消費者として扱います。
お金は人に色をつけません。

その消費者マインドに毒された私たちは、交換ということに時間という概念を勘定することをいつしか忘れてしまい、学校や労働に対して、常に不当な交換がされているという不満を持つわけです。

労働という苦役を支払っているのに、我々はなぜ即時的な等価交換がされないのか?
こんな不満が労働から若者を逃走させているというわけです。

本来の交換行為というのは、「沈黙交易」にあり、そこには時間があったと筆者は言います。
(実はここのページ(p,166)の解説がとっても新しい視点を与えてくれました。)

沈黙交易というのは、交換の起源とされています。
ある部族が、共同体の境界線に何か品物を置いておく。
すると別の部族がその品物を受け取って、別の品物を置いていく。
この繰り返しが交換の起源とされています。

沈黙交易の大事なポイントは2点です。

1点目はそこに置かれた品物の価値を受け取る方は知らないということです。

2点目は交換はその都度すでに始まっているということです。

2点目の意味は、交換というのは、「贈り物をした人」が起点なのではなく、「贈り物を受け取った人」がいて成立するということです。
受け取った人が「すでに交換というゲームが始まっている」という認識があってスタートするわけです。

つまり「始めましょう!」で始まるものではないことです。

交換は、「何かよくわからないものを受け取ってしまった。なんかお返ししなければという義務感と負債感」から始まっているわけです。

この「沈黙交易」から言えることは次のことです。

労働を人間的活動たらしめ、社会の倫理的行動にしたのは、「働くことで既に受け取ってきたものを返さなければならない。」という反対給付の義務感・負債感を人間が持つからです。

「人間は働かなくてはならない」というのは、特段偉い人が言ってきた、とってつけた高貴な倫理観とかではありません。

それが労働の本質だったということです。

「どうして働くのか?」というサラリーマンの永遠のテーマ・疑問に一つ答えをここから導くことができます。

それは「働いて何かをお返ししなければならない」という義務感と負債感を私たち自身が持っているからです。

さてさてまとめに入ります。

この本は「なぜ若者は学校や労働から逃走するか?」というテーマでした。

「それは私にどんな風に役立つのか?」

というのを教育や労働において基準にみています。
筆者はとにかく「市場原理」(消費者マインド)が深く入り込んできたことが闘争の原因だとしています。

消費者マインドで考えれば、明らかに損をしている。
経済的合理性にかなっていない。
その選択が結局若者の逃走に結びついているというわけです。

でも元々は、教育や労働という交換って、すぐに成果物と交換できる代物ではないよね?
もう少し長い目で見ていこうよっていうことです。

また若者を受け入れる世の中側も、短期的に役に立つ、役に立たないという判断をするのではなく、失敗したっていいんだよという長期的な視点に立って、暖かく迎え入れてあげることが必要なんじゃない?というのが筆者のメッセージでした。

さて最後にいい言葉だなと思ったところを引用して終わります。

「コミュニケーションとは、本来は「わかること」だけをやりとりするものじゃなくて、「わからないこと」を「わかること」に組み入れてゆくことでしょう。」(P263)

コミュニケーション一つ取っても、それは無駄なことだからと「役に立たない」と判断して自分の世界に引きこもっていく。

コミュニケーション一つ取っても等価交換になりつつある世の中に一石を投じる良い言葉であると思います。

 

 

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